シェル・シルヴァスタイン作の「おおきな木」は、ほんだきいちろうさんが翻訳を手がけた後、作家の村上春樹さんが翻訳された事で話題になりました。
きれいな緑色の表紙を見かけた事がある人も多いでしょう。本文は線画のみで色はなく、とてもやさしい文章で表現されています。でもこの絵本、とても内容が難しく、一読ではとても理解が出来ません。今回はそんな考えさせられる絵本、「おおきな木」を紹介します。
■ 「おおきな木」のあらすじ
あるところに、1本のりんごの木と、少年がいました。少年と木はとても仲良し。お互いの事が大好きで、少年は木に登り、りんごを食べ、疲れたら木陰で休みました。木はとても嬉しくて、少年に手をさしのべるかのように枝葉を伸ばします。木の幹はいつも、少年を追いかけて左右に動いています。
しかし時は流れ、少年は成長します。木はひとりぼっちの時を過ごす事が多くなりました。
ある日成長した少年が木の元へやって来ました。嬉しくて仕方のない木に向かって少年は、
「もう小さな子どもじゃないんだよ、お金が欲しいんだ」
と木に無心します。木は、
「りんごを売ってお金を得なさい。幸せになりなさい」
と告げます。少年は木にあるりんごを全て持って行ってしまいました。それでも木はとても幸せでした。しかし木はまた寂しい時間を過ごします。その後も少年はことあるごとに木に無心を続けます。家がほしい、船がほしい。その度に木は枝葉を差し出し、幹を差し出し、とても幸せでした…。
やがて老人になってしまった元少年がやって来たとき、木にはもう何もありませんでした。ごめんなさい、とささやく木に、元少年は、
「もう何もいらない、ただゆっくり座れる場所があればいい。とても疲れた」
と告げました。なら、と木は、切り株だけになった体をしゃんと伸ばして言いました。
「私に座りなさい。切り株は座るのにちょうどいいから」
元少年はそこに座り、木はとても幸せでした。
■ 少年の幸せを願い続ける木
初めてこの絵本を読んだとき、少年が憎くて仕方がありませんでした。木の気持ちを全く気にかけないで、ただただ自分の事だけしか考えない少年は、どこか私自身に似ていたからかもしれません。
しかし、なぜ木はそこまでして少年に与え続けたのでしょうか。木の幸せは自分を犠牲にして、一生を少年と暮らす事だったのでしょうか。
多くの人が、この絵本の少年と木に「母親と子ども」の関係を見ると思います。「木」を母親に置き換えて考えてみましょう。子どもを一番に愛し、どこにも行かせず、欲しいものは全て与え、母親とだけ生きる。
そういった事が木の幸せだったのでしょうか。いいえ、きっと違います。少年が無心する度に木は言います、
「幸せになりなさい」
と。少年が幸せになる姿、それこそが木の幸せなのではないでしょうか。少年の人生に何があったのかは語られていません。ただ、あまり幸せな人生ではなかったのだろうな、というのが窺われます。だからこそ、木は与え、それで少年の幸せを願ったのかもしれません。
もちろんこれは、私の解釈です。全く違った考えを持つ人も大勢いるでしょう。その時はこう思ったけど、時間が経ったら解釈が変わるという事もあります。何度も読み返して、その度に考える絵本。「おおきな木」は、素晴らしい魅力をもった絵本だと思います。
■ まとめ
「おおきな木」は1964年に出版され、30以上の言語に翻訳された絵本です。世界中でたくさんの人に読み継がれてきたこの絵本は、読んだ人の数だけ解釈があるでしょう。きっとそれがこの絵本の読み方です。あなたは、少年と木の事をどう思いますか?憎いでしょうか、哀れに感じるでしょうか。それとも全く違った事を思うのでしょうか。ずっと本棚に入れて、たまに思い出してまた考える。そんな絵本の紹介でした。